罪の赦しと救いの力(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ9:2 すると見よ、人々が中風の者を、床に寝かせたまま彼の所に連れて 来た。イエスは、彼らの信仰を見て、その中風の者に言われた、「子よ、元気を 出しなさい。あなたの罪は赦された」。(3節)すると見よ、何人かの聖書学者が 心の内で、「この人は冒とくしている」と言った。(4節)イエスは彼らの思いを 見抜いて言われた、「なぜあなたがたは、心の中で邪悪なことを考えているのか?  (5節)『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起き上がって歩きなさい』と 言うのと、どちらがたやすいか? ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 聖書学者たちは、自分たちは聖書を知っているという確信を持っていました。彼 らは、神だけが罪を赦す権威があると思っていましたので、彼らの目には一人の 人にすぎなかったイエスが、「あなたの罪は赦された」と言った時、これは神を 冒とくするものだと思いました。これは彼らが、主が神であることを認識してい なかったことを示します。彼らはそのような言葉を語って、天の王国の王を拒絶 しました。聖書学者たちによれば、主イエスは自ら神であるとして、神を冒とく していたのです。しかし、もちろん、主イエスは全く冒とくしていたのではあり ません。なぜなら、彼は神であるからです。神として、彼は天然の環境と悪鬼ど もに対して権威を持っているだけでなく、また人々の罪を赦す全き権威を持って おられます。 主が聖書学者たちの思いを見抜かれたのは、彼が真に神であることを示していま す。もし彼が神でなかったなら、どうしてこれらのことを知ることができたでし ょうか? 主が「どちらが難しいか?」と言われなかったことに注意してくださ い。なぜなら、彼には何事も難しくはないからです。彼が「あなたの罪は赦され た」と言うことは、「起き上がって歩きなさい」と言うことよりも、たやすかっ たのです。なぜなら、人の罪が赦されているかどうか、だれもわからないからで す。ですから、これを言うことは容易です。しかし、人が起きて歩いたかどうか は、だれにでもわかります。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第26編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。