思い煩いのない命を生きる(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ6:19 あなたがたは、自分のために地に宝を蓄えてはならない。そこでは、 しみやさびが食い尽くし、盗人が穴を開けて盗む。(20節)むしろ、自分のために 天に宝を蓄えなさい。そこでは、しみやさびが食い尽くすことなく、盗人が穴を 開けて盗むこともない。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) イスラエルの子たちが良き地で労苦しなければならなかったように、今日、若者 たちは勤勉に勉強し、高校と大学を卒業することによって、地を耕し、種をまき、 作物に水を注がなければなりません。しかし、彼らがこれをするのは、思い煩い のゆえであってはなりません。わたしたちは義務と思い煩いとを区別しなければ なりません。しかし、勉強して、教育を終えようとしている時、あなたはこの世 の人たちと違っていなければなりません。この世の人たちは、思い煩いのゆえに 勉強します。あなたが勉強するのは思い煩いのためではなく、あなたの義務を果 たすためであるべきです。 百万ドルの預金額を持とうと努力してはなりません。むしろ、与えて、天に宝を 蓄えることを学びなさい。あなたの宝を地から天へ移しなさい。あなたの義務は 学位を得て、富を生み出すことです。しかし百万長者になろうとしてはいけませ ん。むしろ、あなたの天の父の命と性質にしたがって、良き与え手となりなさい。 わたしたちにはみな果たすべき義務があります。わたしたちは自分の義務を果た している時、思い煩いのために何もすべきではありません。なぜなら、わたした ちは思い煩いを全く知らない神聖な命を持っているからです。またわたしたちは、 あらゆる方法でわたしたちを顧みられる、全能ですべてを含む天の父を持ってい ます。今日の世は思い煩いで満ちていますが、王国の民は何事にも思い煩うべき ではありません。十分に生活するだけを持っていて、一部分をさまざまな目的の ために分けておいたイスラエルの子たちのように、わたしたちは収穫し、進んで さまざまな目的のために、一定額を与えるべきです。最終的に、わたしたちが与 えるものはすべて、天の銀行に蓄えられ、わたしたちのすべての富はそこにある でしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。