わたしたちの御父の隠れた命を生きる(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ6:1 あなたがたは、人に注目されようとして、自分の義を人の前で行な うことがないように注意しなさい。そうでないと、あなたがたは、天におられる あなたがたの父の褒賞を受けることはない。(2節)だから、あなたは施しをする 時、偽善者たちが人から誉れを受けようとして、会堂や通りで行なっているよう に、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。……(3節)しかし、あなたは 施しをする時、右の手がしていることを左の手に知らせてはならない。(4節)そ れは、あなたの施しが隠れているためである。すると、隠れて見ておられるあな たの父は、あなたに報いてくださる。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) ここ(第6章1節)の義は、義なる行為、すなわち、施しをすること(2-4節)、祈る こと(5-15節)、断食すること(16-18節)などを示します。疑いもなく、これらの 節は、王国の民の義なる行為について語っています。しかしながら、実はそれら は自己と肉を暴露するのです。人の肉は、自分に栄光を帰そうとして、常に人々 の前で良い行ないをし、人にほめられようとします。しかし王国の民は、空にさ れ、へりくだった霊の中で生き、王国の天的支配の下で、純粋で単一な心で歩む 人たちです。人の栄光を得るために、肉の中で物事を行なうことは許されません。 王国の民は天の父を喜ばすために、霊の中ですべての事を行なわなければなりま せん。 これら三つの事例のそれぞれに関して、主は「隠れている」という言葉を使って おられます。わたしたちは自分の義なる行為を、隠れて行なわなければなりませ ん。なぜなら、わたしたちの父が隠れておられるからです。4節で主は、わたし たちの父は隠れて見ておられると言っておられます。王国の民は天の父の子たち として、父の御前で生き、父の臨在に注意を払わなければなりません。彼らが父 の王国のために隠れて行なうすべての事を、父は隠れて見ておられます。天の父 が隠れて見ておられることは、彼らが義なる行為を隠れて行なうことへの励まし であるに違いありません。隠れて義なる行為をすることの効果は、自己と肉が殺 されることです。もし今日、社会の人たちが、自分の良い行ないを見せびらかす ことが許されないなら、彼らはそれをしないでしょう。ですから、わたしたちに とって、義なる行為に関する基本的な原則は、決して自分自身を見せびらかさな いということです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第21編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。