キリストはすべての影と形式を成就する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヘブル10:8 初めに言われます、「あなたは、いけにえとささげ物と全焼のささ げ物と罪のためのいけにえとを望みもせず、喜ばれもしませんでした」(それら は律法にしたがってささげられます)。(9節)また彼は、「見よ、あなたのみここ ろを行なうために、わたしは来ました」と言われました。彼は第二のものを打ち 立てるために、第一のものを取り去られます。(10節)そのみこころによって、イ エス・キリストの体が一度限りささげられたことを通して、わたしたちは聖別さ れたのです。 コロサイ2:16 そういうわけで、食べることと飲むことについて、あるいは祭り や新月や安息日について、だれにもあなたがたを裁かせてはなりません。(17節) これらは、来たるべき事柄の影であって、その本体はキリストにあります。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 十戒はすべて、第四の戒め、すなわち安息日を守る戒めを除いて、新約において 繰り返されており、引き上げられています。この安息日の戒めが終わったのは、 道徳と関係がないからです。むしろ、それは儀式の戒めです。それは儀式の律法 です。 儀式は形式、影であって、わたしたちは今日もはや守る必要がありません。例え ば、わたしたちは動物のいけにえをささげる必要はないではありませんか? 同 じように、わたしたちはもはや安息日を守る必要がありません。旧約、影の時代 には、いけにえ、祭り、安息日の順守の必要がありました。しかし、今日は実際 の時代です。わたしたちのいけにえは、小羊ややぎではなく、旧約のいけにえの 実際であるキリストです。同じように、わたしたちの安息は特別な日ではありま せん。それもキリストです。キリスト、実際がここにおられるので、すべての影 は終わりました。安息日を守る戒めは儀式の戒めであって、道徳の戒めではない ので、わたしたちは今日それを守る義務がありません。この戒めは、道徳に関す るものではなく、影、形式に関するものであり、それは今や終わったものです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第18編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。