キリストは律法を守り、成就し、完成する(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:17 わたしが律法や預言者を廃止するために来たと思ってはならない。 廃止するためではなく、成就するために来たのである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 新しい王であるイエスは、モーセの律法を廃止するために来られたのではありま せん。そうではなく、彼は古い律法の標準を引き上げるために来られたのです。 殺人の例を取ってみてください。古い律法は殺すなと命じましたが(出エジプト 記20:13)、怒りについては一言も言いませんでした。もしあなたがだれかを殺し たなら、モーセの律法によって罪定めされたでしょう。しかし、あなたがだれか に対してどれほど怒ったとしても、殺さない限り、モーセの律法によって罪定め されることはないのです。ここに、古い律法の欠陥、不完全さを見ます。しかし ながら、天の王国の律法の要求は、モーセの律法よりもはるかに高いのです。天 の王国の律法によれば、わたしたちは兄弟たちに対して怒ることを禁じられてい ます。マタイによる福音書第5章21節と22節で主は言われました、「昔の人たち に、『殺してはならない。だれでも殺す者は、裁きを免れない』と言われたこと を、あなたがたは聞いている。しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、 自分の兄弟に対して怒る者は、裁きを免れない」。ですから、天の王国の律法は、 古い経綸の律法よりも高いのです。 この事のもう一つの例証は、姦淫に関してです。古い律法は姦淫を犯すことを禁 じましたが、新しい律法は情欲を抱いて女を見ることを禁じます(マタイ5:27-28)。 このように、天の王国の律法の基本原則は、古い律法より高いのです。わたした ちは古い律法を無効にするのではありません。それを補ってさらに高めるのです。 こういうわけで、主イエスは律法を廃止するためではなく、成就するために来た と言われました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。