王国の民は地の塩である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:13 あなたがたは地の塩である。しかし、もし塩が味を失えば、何によ って塩味をつけるであろうか? もはや何の役にも立たず、ただ投げ捨てられ、 人に踏みつけられるだけである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちが塩であるという時、それはわたしたちが神の創造された地に影響を 及ぼし、地を本来の状態に保つことを意味します。神によって創造された地は、 堕落しました。ある意味で、それは腐れ、腐敗しました。塩はその細菌を殺し、 この腐れを除去します。どの医者も、塩は殺菌し、腐敗を除去し、物を本来の状 態に保つと告げることができます。ですから、塩の機能は、神が創造されたもの を保つことです。全地はますます腐ってきています。ですから、わたしたちはこ の腐敗した地に影響を及ぼさなければなりません。腐敗した地に対して、天の王 国の民はそのような要素であり、全地が完全に腐敗してしまうのを防ぎます。 王国の民が味を失うとは、彼らの塩としての機能が失われることを意味します。 それは、彼らが地の人々と同じになり、未信者と何の区別もなくなることです。 味を失うとは、わたしたちとこの世の人たちとの区別を失うことです。それはこ の世の人たちと同じになることです。この世の人たちと同じになるとは、マタイ による福音書第5章3節から12節に啓示された性質の反対です。それは、わたした ちがもはや霊の中で貧しくなく、否定的な状態を悲しんでおらず、柔和でなく、 義に飢え渇いておらず、あわれみ深くなく、神を追い求めることで純粋でなく、 平和をつくっておらず、義のために進んで迫害されておらず、キリストのゆえに 進んでそしられることがないことを意味します。それは、わたしたちがこの世の 人のように生き、歩き、振る舞うことを意味します。そうであれば、わたしたち は味を失い、塩はその機能を失います。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第16編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。