義のために飢え渇く ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:6 義に飢え渇いている人たちは幸いである。彼らは満ち足りるからで ある。 詩篇42:1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。わたしのたましいはあな たを慕いあえぎます。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちが義に飢え渇くなら、神はわたしたちが追い求める義を与えてくださ り、わたしたちはその義で満ち足りるでしょう。義は、神に対してだけでなく、 人に対しても正しいことです。わたしたちの義は、古い律法によるものではなく、 新しい律法によらなければなりません。これから見ますが、新しい律法は古い律 法よりはるかに高いのです。古い律法は「殺してはならない」と言います。しか し新しい律法は、「自分の兄弟に対して怒る者は、裁きを免れない」(マタイ 5:22)と言います。わたしたちは殺さないだけでなく、兄弟に対して怒ることさ えしないように注意しなければなりません。この義は最高水準にあります。 わたしたちの天然の命はこの義に達することはできません。この内側の主観的な 義はキリストでなければなりません。キリストだけが、新しい律法の要求を満た すことができます。わたしは青年の時、マタイによる福音書第5章を読んで、失 望して言いました、「わたしにはとてもできません。あきらめるしかありません」。 しかし、成長すればするほど、ますます内側にそれを行なうことのできる命があ るようになり、自分にはできることをますます認識するに至りました。わたしの 内側の王国を伴う王にはできます。しかしながら、この王はわたしたちの協力を 必要とします。わたしたちは飢え渇くことによって協力します。わたしたちは、 「おお、主イエスよ、あなたに飢え渇きます。主よ、あなたで満たされたいです」 と言って協力します。このように飢え渇くなら、あなたは満たされます。 6節の義はキリストです。それは、キリストによってのみ達することができる超 越した義、最高水準の義です。彼はこの最高の義を生み出される方ですから、わ たしたちは彼を追い求めなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第14編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。