バプテスマ:神によって定められた道を受け入れること ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川で〔ヨハネ〕によってバプテスマさ れた。 ローマ6:3 それとも、キリスト・イエスの中へとバプテスマされたわたしたち はみな、彼の死の中へとバプテスマされたことを、あなたがたは知らないのです か? (5節)もしわたしたちが、彼の死の様の中で彼と共に成長したなら、彼の 復活の様の中にもあるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 義とは、神が定めた道において生き、歩み、事を行うことによって正しくあるこ とです。旧約では、神が与えられた律法を守ることが義でした。今や神はバプテ スマのヨハネを遣わして、バプテスマを定めました。バプテスマされるとは、神 の御前で義を成就すること、すなわち、神の要求を成就することでもあります。 主イエスは、神としてではなく、典型的な人として、ヨハネの所に来られました。 ですから彼は、バプテスマされなければなりませんでした。そうでないと、彼は 神に対して正しくないことになったでしょう。 バプテスマのヨハネの時、神はバプテスマを道として定めました。天の王国に入 りたい者はだれでも、ヨハネのバプテスマの入り口を通過しなければなりません でした。イエス・キリストでさえ、例外ではあり得ませんでした。彼でさえ、こ の入り口を通過しなければなりませんでした。そうでないと、彼はこの入り口を 通過するという義に欠けたことでしょう。主がヨハネにそのように答えられた後 (15節)、ヨハネは了解し、主をバプテスマしました。 バプテスマされることは、神の目に義であることです。わたしたちの存在の終結 と発芽は、神の御前に義です。バプテスマされた者、終わらされて発芽させられ た者は、神に対して正しいのです。神のエコノミーは、わたしたちの天然の人を 終わらせ、わたしたちを新しい命をもって発芽させることです。神に対して正し くあろうとするなら、わたしたちの天然の命が終わらされ、彼の神聖な命で発芽 させられなければなりません。終結と発芽は最高の義です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第10編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。