あなたは、あなたと共にいます神を持っていますか? ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ1:23 見よ、処女が身ごもって男の子を産む。人々は彼の名をインマヌエ ルと呼ぶ(インマヌエルは、神われらと共にいますと訳される)。 ローマ9:5 父祖たちも彼らのものであり、肉によれば、キリストは彼らから出 られたのです。彼は万物の上にいまし、永遠にほめたたえられる神です。アーメ ン。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― マタイによる福音書第1章の最後の部分は、イエスとインマヌエルという名を扱 っています。今やわたしたちは第二の名、インマヌエルに来ます。あなたはイエ スについて幾らかの経験を持つ時はいつも、イエスは自分と共にいます神である と言うことができるようになるでしょう。イエスは神ご自身以外の何ものでもあ りません。イエスは神の御子であるだけでなく、神ご自身です。ある良い著者は、 イエス以外にわたしたちは決して神を見いだすことはできないと言いました。神 はイエスと共におられ、神はイエスです。初めに言があり、言が神と共にあった だけでなく、言は神でした(ヨハネ1:1)。この言は肉体と成って、イエスと呼ば れました。 わたしたちがイエスを経験する時、彼はインマヌエル、わたしたちと共にいます 神です。わたしたちは、イエスがわたしたちの慰め、安息、平和、命であること を聞きました。イエスはわたしたちにとって実に多くのものです。もしわたした ちが彼を経験するなら、わたしたちは直ちに言うでしょう、「これは神です! これは、わたしから遠く離れた神、天の神ではなく、わたしと共にいます神です」。 わたしたちがある方法でイエスを経験する時はいつでも、イエスはわたしたちと 共にいます神であることを、わたしたちは認識します。イエスはわたしたちの救 いです。わたしたちはこの救いを経験すると、「これはわたしたちと共にいます 神であり、わたしたちの救いとなられます」と言います。イエスはわたしたちの 忍耐です。しかし、わたしたちは彼をわたしたちの忍耐として経験する時、「こ の忍耐はわたしたちと共にいます神です」と言います。イエスは道であり真理で すが、わたしたちは彼を道と真理として経験する時、「この道とこの真理はまさ に、わたしと共にいます神です」と言います。ハレルヤ、イエスはわたしたちと 共にいます神です! わたしたちの経験の中で、イエスはインマヌエルです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第6編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。