御名の中で、またその霊によって、洗われ、聖別され、義とされる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント6:11 あなたがたのうちのある者は、このようでした。しかし、あな たがたは主イエス・キリストの御名の中で、またわたしたちの神の霊の中で、洗 われ、聖別され、義とされています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― イエスの御名がわたしたちに与えられたのは、わたしたちが洗われ、聖別され、 義とされるためです。汚れた人として、わたしたちはイエスの御名の中で、また 神の霊によって、洗われ、聖別され、義とされました。わたしはコリント人への 第一の手紙第6章11節を何年間も読んで来ましたが、この重要な点、「御名の中 で」と「その霊によって」を見ていませんでした。御名はパースンとその霊と密 接な関係があります。もしイエスの御名がむなしい御名であったなら、どうして それがわたしたちを洗うことができたでしょうか? どうしてそれがわたしたち を聖別し、義とすることができたでしょうか? これは不可能であったでしょう。 しかしながら、この御名はその霊に結び付けられています。 その霊はその御名のパースンであり、その御名の実際です。ですから、その御名 はわたしたちを洗い、聖別し、義とすることができるのです。その霊はその御名 と一つです。イエスは主の御名であり、その霊は主のパースンです。わたしたち が実際の人の名を呼べば、その人がやって来ます。イエスの御名は、わたしたち を洗い、聖別し、義とするパースンとつながっています。これは単なる教理や理 論ではありません。それは実際です。イエスの御名を信じ、イエスの御名の中に 入られる時、わたしたちは生けるパースンの中に、すなわち、聖霊の中に置かれ ます。この聖霊がわたしたちを洗い、聖別し、義とするのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第6編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。