イエスがわたしたちの救いである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ1:21 彼女は男の子を産みます。あなたは彼の名をイエスと呼びなさい。 彼は自分の民を、彼らの罪から救うからです。 詩篇27:1 主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。 62:2 神こそ、わが岩。わが救い……。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― イエスの御名に含まれている第一の要素はエホバです。第二は救い主です。イエ スはエホバ救い主、わたしたちをすべての消極的なものから、わたしたちの罪か ら、地獄から、神の裁きから、永遠の罪定めから救う方です。彼は救い主です。 彼は、神が罪定めされるあらゆるものから、わたしたちが憎むあらゆるものから 救われます。わたしたちが自分の短気を憎むなら、彼はわたしたちをそれから救 われます。彼はわたしたちをサタンの邪悪な力から、日常生活の中でからみつく すべての罪から、あらゆる束縛や傾倒するものから救ってくださいます。ハレル ヤ、彼は救い主です! イエスは救い主であるだけでなく、彼ご自身がわたしたちの救いです。彼に、救 いを与えてくださるよう求めてはいけません。そうではなく、あなたは、「主イ エスよ、わたしに来てわたしの救いとなってください」と言うべきです。イエス は決してあなたに救いを与えられません。彼が救いとしてあなたに来られるので す。わたしたち信者は、どれほど自分が救われる必要があるかを認識していませ ん。毎日、毎時間、毎分でさえ、救われる必要のあるものがあります。 あなたはこれを読んでいる時、何かから救われる必要があると感じないかもしれ ません。しかしながら、仮に、あなたが突然、天に携え上げられるとしましょう。 もしたった今、天に携え上げられるとしたら、あなたは直ちにたいへんな救いが 必要であるという感覚を持つでしょう。もしあなたが光を持つなら、「主よ、わ たしを救ってください!」と言うでしょう。そのような時わたしたちは、イエス がまことにわたしたちの救い主、救いとしてのエホバであることを認識するでしょ う。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第6編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。