イエスはわたしたちを安息の中にもたらすヨシュアである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ11:28 すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい。そうす れば、わたしはあなたがたに安息を与える。(29節)わたしは心の柔和なへりくだ った者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい。そうすれば、 あなたがたは魂に安息を見いだすであろう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 創世記第1章にエホバという御名は見あたりません。神という御名だけです。 「はじめに神は……創造された」。エロヒム、神は、創造の神に対する用語です。 エホバという御名は、創世記第2章になってはじめて使われます。特に、神が人 と関係を持たれる時に使われます。イエスという御名は、エホバに何かが加えら れています。すなわち、エホバわれらの救い、エホバわれらの救い主です。 ヨシュアはイエスのヘブル語の等値語であり、イエスはヨシュアのギリシャ語訳 です。モーセは神の民をエジプトから連れ出しましたが、ヨシュアは彼らを安息 の中にもたらしました。イエスはわたしたちの真のヨシュアとして、わたしたち を安息の中にもたらされます。マタイによる福音書第11章28節と29節は、イエス が安息であって、わたしたちを安息としてのご自身の中にもたらされることを告 げています。ヘブル人への手紙第4章8節、9節、11節も、わたしたちの真のヨシュ アとしてのイエスを語っています。 今日、イエスはわたしたちの真のヨシュアであって、わたしたちを安息、良き地 の安息にもたらされます。彼はわたしたちを罪から救う救い主だけでなく、安息、 良き地にもたらすわたしたちのヨシュアです。わたしたちが彼の御名を呼び求め る時はいつでも、彼はわたしたちを罪から救い、安息の中に、ご自身の享受の中 にもたらされます。ある詩歌の一行は、一日に千回イエスの御名を呼ぶことにつ いて言っています。あなたが「イエス」と呼べば呼ぶほど、良いのです。わたし たちは絶えずイエスの御名を語ることを学ばなければなりません。イエスはわた したちの救いです。イエスはまたわたしたちの安息です。主イエスの御名を呼ぶ 者はだれでも、救われて安息に入るでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第5編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。