信仰によって生きる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ1:2 アブラハムはイサクを生み、イサクはヤコブを生み……。 ローマ9:7 また彼らがアブラハムの子孫であるからといって、すべてが子供で はないからです。むしろ、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれる」。 (8節)すなわち、肉の子供が神の子供たちではなく、約束の子供が子孫と勘定さ れるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― イサクとは何でしょうか? イサクは信仰による生活と歩みの結果です。これは キリストです。イサクは、御父のすべての豊富を受け継ぐキリストの完全な予表 でした。わたしたちはみな、キリストをそのように経験しなければなりません。 わたしたちの行為、奮闘、努力によってではなく、ただ彼に信頼することによっ てです。わたしたちは彼に信頼した結果、イサクになります。イサクだけがキリ ストの系図の真の要素です。肉のアブラハムから出た子たちがみな神の子なので はありません。ただイサクにおいて、神はご自身の子たちを持たれます。ですか ら、神はイサクをアブラハムの唯一の子、キリストに関する約束を受け継ぐただ 一人の相続人と考えられました。 わたしたちは今日アブラハムの種族ですが、イシマエルの道を歩いているのでし ょうか、それともイサクの道に生きているのでしょうか? イシマエルの道は、 わたしたちの力と働きによって神の目的を果たすことです。イサクの道は、自分 自身を神の中に置き、彼にあらゆることを行なっていただき、わたしたちのため に彼の目的を果たしていただくことです。この二つの道の何という大きな違いで しょう! イシマエルはキリストと何の関係もありません。わたしたちが何を行 なっても、何を達成しようとしても、キリストとは何の関係もありません。わた したちはイサクを持たなければなりません。イサクを持つのであれば、イシマエ ルを追い出し、自分の行ないをやめ、自分自身を神の働きの中に入れなければな りません。彼にわたしたちのために彼の約束を果たしていただくなら、わたした ちはイサクを持つでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第2編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。