系図を持つことの意義 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ1:1 イエス・キリストの系図の書。彼はダビデの子であり、アブラハム の子である。(16節)ヤコブはマリヤの夫ヨセフを生んだ。このマリヤから、キリ ストと呼ばれるイエスが生まれた。 ルカ3:23 イエスが務めを開始されたのは、およそ三十歳であった。人の見方に よれば、彼はヨセフの子であり、ヨセフはヘリの子、それからさかのぼって、 (38節)エノスの子、セツの子、アダムの子、そしてアダムは神の子である。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 四福音書のうち、マタイによる福音書とルカによる福音書の二つだけに系図があ ります。マタイはイエスが王の家族の正当な子孫であること、彼は王座の合法的 な相続人であることを告げています。そのような人には確かに、彼の起源と系統 を告げる系図が必要です。ルカによる福音書はイエスを正当で正常な人として提 示します。イエスを正当な人として示すためには、やはり系図が必要です。マル コによる福音書では、イエスは奴隷、売られて奴隷となった者として描かれてい ます。奴隷には系図の必要はありません。ですから、マルコによる福音書にはそ れがないのです。 ヨハネによる福音書は、イエスは神であると告げます。「初めに言があった…… 言は神であった」。彼には初めがなく、家系がありませんでした。彼は永遠であ って、命の初めも命の終わりもありません(ヘブル7:3)。初めに神がおられまし た! ヨハネが彼の系図について語ることは愚かであったでしょう。 他のどの人についても、彼がだれであったとしても、あるいは人々が彼について どれほど多くの伝記を書いたとしても、系図は全く同じになるでしょう。しかし、 イエスには二つの系図があるのです。後ほど、その系図がどのようにして最終的 に一つになるかを見るでしょう。再びわたしたちは、彼が不思議であることを見 ます。あらゆる面で、彼はあまりにも不思議です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(一)」(1997 年版)メッセージ第1編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。