神は愛をもってわたしたちを顧みておられる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記43:18 ところがこの人々はヨセフの家へ連れて行かれたので恐れて言った、 「初めの時に袋に返してあったあの銀のゆえに、われわれを引き入れたのです。 そしてわれわれを襲い、攻め、捕えて奴隷とし、われわれのろばをも奪うのです」。 (23節)彼は言った、「安心しなさい。恐れてはいけません。その宝はあなたがた の神、あなたがたの父の神が、あなたがたの袋に入れてあなたがたに賜ったので す。あなたがたの銀はわたしが受け取りました」。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしは、主がなおも愛によって主権をもって、わたしたちを顧みておられると いう良い知らせを、あなたと交わりたいのです。彼が行なわれたこと、行ないつ つあること、行なおうとしておられることは、すべて愛によって動機づけられて います。愛の中で、彼はわたしたちを導いて、わたしたちに与えるさまざまな表 示を通して、彼を知らせようとしておられます。彼が行なわれたことはすべて、 わたしたちを導いて彼を知るようにする表示です。先入観に捕らわれたままで、 目を自分のお金、ろば、自分自身に置くことがあってはなりません。イエスを見 上げ、目を彼に据えなさい。こうするなら、あなたは彼を見て、彼を認め、彼を 知るでしょう。 わたしはヨセフと彼の兄弟たちのこの物語が好きです。なぜなら、それは主を知 ることでのわたしの状態を描写しているからです。わたしは何と愚かであったで しょう! 主は常にわたしにとって善であられたのに、自分は駄目になるのでは ないか、損失を被るのではないかと、絶えず心配してきました。ヨセフが彼の兄 弟たちに行なったすべては、愛によって動機づけられていました。主イエスとわ たしたちとの関係についても同じです。主の御前での自分の過去を考えてみるな ら、涙は流れ始め、わたしたちは言うでしょう……。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(七)」(1999年版)メッセー ジ第117編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。