からだを顧みる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 申33:21 彼は自分のために第一の部分〔の地〕を備えた。……彼は民のかしら たちと共に来て、エホバの義のおきてを、イスラエルに行なった。(原文) ローマ12:5 わたしたちも数は多いのですが、キリストの中で一つからだであり、 そして各自は互いに肢体なのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― その「第一の部分」とは、ヨルダンの東の地のことです。ガドはその部分を自分 のために備えましたが、そこにとどまってそれを享受しようとしませんでした。 むしろ、彼は民のかしらたち、他の部族の首長たちと共に行って、地の残りの部 分のために戦いました。ここにからだの行動、動きを見ます。 ガドが成功した理由は、彼が自分の享受を捨ててからだを顧みたことです。これ は神の目に公義です。新約の用語では、それは神のみこころの成就です。イスラ エルの子たちが良き地に入った時、神の民が定着することが神の公義における神 のみこころでした。神はガドだけを欲したのではありません。神は十二部族すべ てが定着して彼の王国となり、彼のおきてが守られることを欲したのです。これ が神のみこころを成就することです。ローマ人への手紙第12章によれば、神のみ こころとはからだの生活を持つことです。ですから、からだの生活を持つこと、 他の人の必要を顧みることは、神のおきてを守るために神の公義を行うことです。 ダンの失敗は、彼が個人主義的であったことです。ガドの成功は、彼が団体的で あって、兄弟たちと共に動いたことです。自分の霊的な利益にだけ関心がある時 はいつも、あなたはダンです。しかし、自分の霊的な利益を忘れて、他のすべて の兄弟たちを顧みる時、すなわち、からだを顧みる時、あなたはガドです。わた したちはからだを顧み、からだと共に行動しなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(六)」(1999年版)メッセー ジ第103編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。