ぶどう酒でわたしたちの衣を洗う ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記49:11 ……彼はその着物を、ぶどう酒で洗い、その衣をぶどうの血で洗 う。(新改訳) 啓示録19:8 彼女は輝く清い亜麻布を着ることを許された。その亜麻布は、聖徒 たちの義である。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 聖書では、わたしたちの日常生活における振る舞いを衣服にたとえています。比 喩的に言えば、着物や衣はわたしたちの振る舞いを象徴します。それらはわたし たちの歩みと行動を表します。ですから、わたしたちの着物をぶどう酒で洗い、 わたしたちの衣をぶどうの血で洗うとは、自分の振る舞い、日常の歩みを、キリ ストの命の豊富の享受の中に浸すことを象徴します。 ぶどうの汁はおもにわたしたちの渇きをいやすためですが、ぶどう酒はおもにわ たしたちの興奮をかき立てるためです。わたしたちの渇きはいやされる必要があ りますが、わたしたちの興奮はかき立てられる必要があります。すべてのクリス チャンは正当な意味で、「クレージー」であり、我を忘れなければなりません。 その時、わたしたちの振る舞いはキリストの命の豊富の完全な享受をもって浸透 され、飽和されるでしょう。その時、人は言うでしょう、「これらのクリスチャ ンを見てみなさい。彼らがどのように生き、振る舞っているかを見てみなさい。 確かに彼らであるものには、何かがあるに違いありません」。この何かとは、キ リストの豊富な命であり、それが元気づけるぶどう酒としてわたしたちをかき立 て、渇きをいやすぶどうの汁としてわたしたちを満足させるのです。そのような クリスチャンは幸いで、満足し、興奮して、喜びのあまり我を忘れさえするので す。彼らはとても興奮しているので、刺激的になります。彼らの振る舞い、日常 の歩み、すべての行動は、ぶどう酒とぶどうの汁としてのキリストの命で満ちて います。 あなたはどうすれば幸いであるかを知らず、常にみけんにしわを寄せて長い顔を している、いつも悲しげなクリスチャンでしょうか? キリストの王国の中の人 たちはすべて、笑っていて、幸いで、喜ばしく、興奮して、快活で、満足してい なければなりません。これは、わたしたちがキリストの命の豊富な享受の中に、 自分の振る舞いを浸していることを示します。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(六)」(1999年版)メッセー ジ第100編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。