偶像の霊的意義 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記35:1 神はヤコブに仰せられた。「立ってべテルに上り、そこに住みなさ い……。 (2節)それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての 者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着 物を着替えなさい。(3節)そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私 はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私と共におられた 神に祭壇を築こう。」(新改訳) ピリピ3:19 彼らの終わりは滅びであり、彼らの神は腹であり、彼らの栄光は彼 らの恥であり、彼らは思いを地上の事柄に置いています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ヤコブは自分の家族と、自分と共にいるすべての者に、彼らの間にある異国の神々 を捨て去るようにと告げました。多くの人は、偶像とは決して何の関係もないと 主張するかもしれません。物質的に言えば、あなたは何の偶像も持っていないと 言うのは本当かもしれません。しかしわたしたちは、霊的に言って偶像とは何で あるかを知らなければなりません。偶像とは、何であれ神に置き換わるものです。 あなたの教育、野心、地位、肩書き、願望、計画が、あなたの生活の中で神に置 き換わり、偶像になっているかもしれません。この光の中で物事を見るなら、あ なたは多くの異国の神々を持っていることを認めなければならないでしょう。 人々が偶像を拝むのは、長寿と幸福を得るためです。サタンは人々を脅し、もし 偶像を拝まないなら長寿と幸福を得られず、もし偶像を拝むなら長寿と幸福を得 られると言います。幸福とは、金銭、地位、野心、名声、肩書きなど、多くの事 を含みます。多くの人は、健康になりたいという願いで偶像を持ちます。あなた はなぜ神に置き換わるものを持つのでしょうか? それはまさしく、あなたを幸 福にするからです。今日、人は神を失い、異国の神々を追い求め、偶像の中に幸 福を尋ね求めています。しかし、神がわたしたちの長寿と幸福です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・創世記(五)」(1999年版)メッセージ第 78編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。