祈らざるを得なくなる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記32:9 そうしてヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサク の神よ。かつて私に『あなたの生まれた故郷に帰れ。私はあなたをしあわせにす る。』と仰せられた主よ。(11節)どうか私の兄、エサウの手から私を救い出して ください……。(新改訳) 2コリント1:9 実に、わたしたちは自ら、自分自身のうちに死という答えを持 ちました。それは、わたしたちが自分自身に信頼するのではなく、死人を復活さ せる神に信頼するためでした。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ヤコブは自分で案配した後も、おそらく依然として平安でなかったのでしょう。 ですから、彼は普通ではない事をしました。彼は祈ったのです。これは、ヤコブ の全生涯で彼が祈ったことの最初の記録です(第28章20節から22節は彼の誓願で あって、神に対する祈りではありませんでした)。二十年間、ヤコブがラバンの 搾取する手の下にいた間、彼が祈ったという記録はありません。ラバンは報酬を 十度も変えましたが、ヤコブは祈りませんでした。原則的に、わたしたちはみな ヤコブです。わたしたちは神の約束を受け、神を知るようになりましたが、それ でも祈りません。わたしたちは霊を活用して祈ることをしないで、思いを働かせ て考え、天然の力を働かせてあらゆる問題に立ち向かうのです。 ヤコブはラバンと共にいた時、祈りませんでした。反対に、彼は自分の天然の力 を使ってその状況を処理しました。しかし今や、エサウに会おうとしている時、 彼はこれ以上どうしようもない所に追い込まれました。彼のすべての手腕、方法、 才能、能力は使い尽くされました。彼は、エサウが四百人を率いてやって来るこ とを知った時、おびえました。彼のなし得たことはせいぜい、自分の民を二つの 組に分けることであり、もし最初の組が犠牲になっても、第二の組は逃れると考 えたのです。これがヤコブのなし得た最上のことであったので、彼は祈らざるを 得なくされたのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(四)」(1999年版)メッセー ジ第79編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。