地上のはしごであるキリスト ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記28:12 そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立 てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下 りしている。(新改訳) ヨハネ1:51 そして彼は言われた、「まことに、まことに、わたしはあなたがた に言う。天が開け、神の御使いたちが人の子(イエス)の上を上り下りするのを、 あなたがたは見るであろう」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― いったんわたしたちの目が開かれるなら、はしごがすでにそこにあるのを見ます。 これは天のビジョン、天の夢です。この夢においてわたしたちは、はしごが下っ て来るのを見るのではありません。わたしたちは、すでにここにあるはしごを見 るのです。 新約聖書に来ると、キリストがヤコブの見たはしごであることを、わたしたちは 見ます。キリストは天を地にもたらし、地を天に結合する方です。まず彼は天を 地にもたらし、次に地を天に結合されます。創世記第28章12節は、そのはしごが 「地の上に立って」いたと言っています。わたしたちの観念によれば、キリスト は地から去って行かれました。しかし、神の観念によれば、キリストは地上に据 えられており、だれも彼を動かすことはできないのです。 あなたの深い内なる感覚によれば、あなたが救われた時、キリストはどこにおら れたでしょうか? 天でしょうか? 地でしょうか? あなたの天然の観念によ れば、彼は天におられました。しかし、あなたの内なる感覚によれば、キリスト はあなたのすぐ前におられました。なぜなら、彼は地上に据えられていたからで す。多くの時、わたしは自分の部屋で、キリストがそこにおられるという感覚を 持ちました。わたしたちの多くは、起こっている事を言い表す言葉もないほど、 主とのすばらしい時を何度も持ったと証しすることができます。それは御使いた ちが上り下りしていたという強い証拠でした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(四)」(1999年版)メッセー ジ第68編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。