あなたがたがわたしの中におり、わたしがあなたがたの中にいる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ14:02 わたしの父の家には多くの住まいがある.もしそうでなかったな ら、わたしはあなたがたに話したであろう.あなたがたのために、場所を用意し に行くのだから。 ヨハネ15:05 わたしはぶどうの木であり、あなたがたはその枝である。人がわ たしの中に住んでおり、わたしもその人の中に住んでいるなら、その人は多くの 実を結ぶ.わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちがキリストの中にあるということは、キリストの中にある事実と関係 があります。キリストがわたしたちの中におられるということは、キリストの命 と関係があります。言い換えれば、わたしたちがキリストの中にあることはキリ ストのみわざに触れることであり、キリストがわたしたちの中におられることは キリストの命に触れることです。わたしたちがキリストの中にある時、キリスト にあるすべての事実はわたしたちのものになります。キリストがわたしたちの中 におられる時、キリストの中にあるすべての力はわたしたちのものになります。 わたしたちがキリストの中にある時、キリストが過去に達成されたすべてのみわ ざはわたしたちのものとなります。キリストがわたしたちの中におられる時、今 日キリストであられるすべてと、キリストが行なうことのできるすべては、わた したちのものとなります。 もしわたしたちが、自分がキリストの中にあることを知っているだけであり、キ リストがわたしたちの中におられることを知らないなら、わたしたちは弱く、ま たむなしく、すべてはただ理想に終わるだけで、失敗ばかりすることでしょう。 しかしながら、キリストがわたしたちの中におられることを知っているだけで、 わたしたちがキリストの中にあることを知らなければ、わたしたちはやはり多く 苦しむでしょう。わたしたちは、自分の行ないたいことを行なう方法がないこと を、見いだすでしょう。わたしたちがどんなに試みても、完全に行なうことはで きないでしょう。 命、敬虔、聖、義に関するすべての事柄、またこの時代と来たるべき時代に関す るすべての事柄は、「わたしたちがキリストの中にある」と「キリストがわたし たちの中におられる」というこの二つの句の中に含まれています。恵みのこの二 つの面は、クリスチャンの享受です。この二つの面の恵みは、わたしたちを自己 の働きから離れさせます。また、すべてが神から出たものであって、何一つわた したち自身から出たものでないことを、わたしたちに示してくださいます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第35巻「アブラハム・イサク・ヤコブの神」(1998年版) メッセージ第8章から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。