イサクはキリストの予表である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記22:2 神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサ クを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の 上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」(10節)アブラ ハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。(新改訳) ヨハネ3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、世の人を愛された。それは、 彼の中へと信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― イサクはキリストを予表しました。イサクはアブラハムのひとり子でした。これ は神のひとり子としてのキリストを予表します。イサクはアブラハムの愛する子 であり、キリストは御父が喜ばれる愛する子でした。創世記第22章の絵に、完全 に成長した人イサクが死に至るまで従順であったことを見ます。この章の記録に よれば、イサクをささげる事柄では、アブラハムは妻サラとも息子イサクとも相 談しませんでした。アブラハムは息子を連れて、薪を彼に背負わせ、山へ連れて 上り、彼を縛り、祭壇上に横たえました。彼はイサクに何を言う機会も与えませ んでした。しかし、イサクは父の意志を受け入れ、死に至るまで従順でした。同 じように、主イエスは死のうとした時、「わたしのこころのままではなく、あな たのみこころのままになさってください」と言われました。 イサクは祭壇に至るまで従順でした。彼は山のふもとまで父に従っただけではあ りません。彼はまた薪を取り上げることにおいて、縛られることにおいても従い ました。彼は抵抗しませんでした。父が彼を祭壇の上に横たえて、刀を取り上げ、 手を伸ばして彼をほふろうとした時でさえ、彼は反抗しませんでした。彼は死に 至るまで従順でした。イサクのこれらすべての面を、旧約に描かれたキリストの 予表と考えるなら、それらが主権をもって案配され、新約聖書の啓示の明確な御 言葉と一致していることがわかるでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(四)」(1999年版)メッセー ジ第58編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。