割礼の霊的な意義(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記17:10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの 子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のす べての男子は割礼を受けなさい。 コロサイ2:11 またあなたがたは、その方の中で、手によらない割礼をもって割 礼されました。すなわちキリストの割礼の中で、肉の体を脱ぎ捨てました。 ピリピ3:3 なぜなら、わたしたちこそ割礼の者であり、神の霊によって仕え、 キリスト・イエスの中で誇り、肉を頼みとしないからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) これら二つの節は、割礼が何であるかをわたしたちに見せています。簡単に言え ば、割礼とは肉を断つことです。割礼を受けた者の態度とは何でしょうか? 彼 らは肉を頼みとすべきでもなく、また肉に信頼すべきでもありません。ですから、 割礼の意味はほかでもなく、人の生まれつきの力、生まれつきの能力を対処する ことです。 神の子供たちの最大の問題は、肉が何であるかを知らないということです。多く のクリスチャンの知っている肉と言えば、罪を犯すということでしかありません。 もちろん、肉は確かに人に罪を犯させます。しかし、肉は単に罪を犯すだけでは ありません。ローマ人への手紙第8章8節では、「肉の中にいる者は、神を喜ばせ ることができません」と言っています。これは、肉が神を喜ばせようとしている ことを意味します。多くの場合、肉の目的は神を怒らせることではなく、神を喜 ばせようとすることもあるのです。ローマ人への手紙第7章では、肉が力を尽く して律法を守り、神のみこころを行なって神を喜ばせようとしていますが、その 結果は不可能であることをわたしたちに示しています。 あなたの肉が割礼を受けると直ちに、自分を信じることができなくなります。も はや自信もなくなりますから、軽々しく意見を発表することもありません。わた したちは主の御前において、自分の持っているすべてのものは弱さであって、何 一つ頼りにならないということを知らなければなりません。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第35巻「アブラハム、イサク、ヤコブの神」(1998年版) の第5章から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。