訪れてくる神と交わりを持つ(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記18:10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたの ところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」 サラはその人のうしろの天幕の入り口で、きいていた。(20節)そこで主は仰せら れた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。」 (新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうち第2編) アブラハムが神との甘い交わりを享受していた時、彼は神からイサクの誕生とソ ドムの破壊に関する啓示を受けました。これら二つは、神が常にわたしたちを取 り扱われることに関する基本的な事柄です。イサクの誕生は、キリストに関係し ており、ソドムの破壊は、罪に対してなされる神の裁きに関係しています。イサ クは来なければならず、ソドムは過ぎ去らなければなりません。これは、キリス トが入って来られ、罪が出て行かなければならないことを意味しています。わた したちが神から受けた、また受けようとしている啓示のすべては、ほとんどこれ ら二つの事柄に関するものです。 もしあなたが自分の経験を考慮するなら、そのとおりであることに気づくでしょ う。あなたが神と交わりを持つ間、神から啓示を受けるときはいつでも、それは 常に積極面におけるキリスト、または消極面における罪の事柄に関するいずれか です。積極面で、わたしたちはさらにキリストを見て、次のように言うでしょう、 「わたしはキリストに関する新しい啓示を見ました。わたしは、キリストによっ てもっと生きてこなかったことを、どれほど憎むことでしょう!」。これがイサ クの誕生に関する啓示であり、キリストがあなたの生活の中で生み出されること の啓示です。しかし、わたしたちは自分の罪を見て、次のように言うでしょう、 「主よ、わたしを赦してください。わたしの中にはまだ自己、憎悪、ねたみがあ ります。わたしには多くの失敗があり、欠陥、罪深い事さえあります。主よ、わ たしはこれらのものを裁き、それらが滅ぼされることを願います」。これは原則 において、罪に対する神の裁きと滅びです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(三)」(1998年版)第50編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。