献身――祭壇と天幕(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記12:7 そのころ、主がアブラムに現われ、そして「あなたの子孫に、わた しはこの地を与える。」と仰せられた。アブラムは自分に現われてくださった主 のために、そこに祭壇を築いた。(8節)彼はそこからべテルの東にある山のほう に移動して天幕を張った……。(新改訳) へブル11:9 信仰によって、彼は他国の地にいるように、他国人として約束の地 に住み、同じ約束の共同の相続人であるイサクとヤコブと共に、天幕に住みまし た。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) バベルでは、人々はまず町を建設し、次に塔を建てました。しかし、アブラハム はまず祭壇を築き、次に天幕を張りました。これは、アブラハムが神のためであ ったことを意味します。彼が行なった最初のことは、神を礼拝すること、神との 交わりを顧慮することでした。第二に、彼は自分の生活を顧みました。天幕はア ブラハムの生活のためでした。アブラハムが天幕に住んだことは、彼がこの世に 属しておらず、人々に対する証しであったことを示しました。 あなたは常に主の臨在がある天幕を持っていないでしょうか? この世の人は、 そのような天幕を持っていません。彼らには大きな町があるだけです。この世の 人が見ることができる唯一のものは、彼らの大きな町です。彼らは言います、 「わたしの会社を見てください。わたしの教育、わたしの到達したものを見てく ださい。わたしがどれほど多くのものを持っているか、見てください」。しかし、 わたしたちはこの世の人に言うことができます、「あなたはあらゆるものを持っ ていますが、あなたが持っていない一つのものがあります。それは神の臨在です」。 わたしたちが上流の人であろうと下流の人であろうと、大した意味はありません。 重要なのは、わたしたちがどこにいても、神の臨在がある天幕を持っていること です。わたしたちは、神の臨在がある天幕を持つ時、この地上に永続するものは 何もないという深い感覚を内側に持ちます。すべてのものは一時的です。わたし たちは永遠を見つめています。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(三)」(1998年版)メッセー ジ第41編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。