献身――祭壇と天幕(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ14:8 わたしたちは生きるにしても、主に生きるのであり、死ぬにしても、 主に死ぬのです。こういうわけで、わたしたちは生きるにしても死ぬにしても、 主のものです。 1テサロニケ5:24 あなたがたを召す方は信実であり、彼はまたそれを行なって くださいます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) わたしたちは主に、わたしたちであるすべて、わたしたちの持っているすべては 主のためであると言いますが、二、三日もするとそれを忘れるかもしれません。 しかし、わたしたちを召した方は、決して忘れません。主はすばらしい記憶力を 持っておられます。しばしば主はわたしたちに来て、わたしたちが主に言った事 を思い起こさせます。主は、「あの日、わたしに言ったことを覚えていないので すか?」と言われるかもしれません。あなたは自分が約束をしたことの意義を認 識していませんでした。わたしたちがそれを約束した時、それについてはっきり していなかったことを、わたしは神に感謝します。わたしたちは一つの短い文章 を語った結果、どれほど多く神とかかわりを持ったかを認識していませんでした。 わたしたちはそれによって束縛されました。彼は神です。彼は召す方であり、わ たしたちは召された者です。すべては主からです。たとえわたしたちが主のため に我を忘れたいと思っても、わたしたち自身の中にはそうさせる刺激はありませ ん。しかし、いったん彼がわたしたちに現れると、わたしたちは我を忘れて言い ます、「おお、主よ、すべてはあなたのものです。主よ、あなたが取ってくださ い。わたしはすべてをあなたにささげます」。 人に主へと献身させるのは、教えではありません。人をそうするよう動機づける のは主の現れです。もしわたしたちが人を助けて、人が主に出会い、主の臨在の 中に入って来ることができるようにするなら、それで十分です。わたしたちは人 に、神に献身するように、あるいは、すべてのものを祭壇の上で主にささげるよ うにと告げる必要はありません。いったん神が人に現れるなら、何ものも彼らが 献身するのを止めることはできません。彼らは自然に、自動的に「主よ、すべて はあなたのものです。今から後、すべてはあなたのためです」と言うでしょう。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(三)」(1998年版)メッセー ジ第41編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。