カインとアベルは神を礼拝する道を示している(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記4:4 アベルもまた、その群れの初子とその脂肪を持ってきた。主はアベ ルとその供え物とを顧みられた。(口語訳) ヘブル11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささ げ、信仰を通して義なる者という証しを得ました。神が彼の供え物に対して証し されたからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) アベルが自分のいけにえをささげたのは、自分の観念、思想、方法にしたがって ではなく、神の救いの道にしたがってでした。彼は啓示にしたがって神を礼拝し ました。カインとは異なり、アベルは群れの初子をささげました。それはおそら く小羊であったでしょう。彼が脂肪をささげた時、そのいけにえは殺され、血が 流されました。なぜなら、それを殺さなければ、神にささげる脂肪を得ることは 不可能であったからです。アベルは、ささげ物と血を流すことを必要とすること を認識していました。彼は、自分が堕落した親から生まれたこと、そして邪悪で、 罪深く、神の目に汚れていることを知っていました。ですから、彼は群れの何頭 かの初子をささげ、自分の贖いのために血を流し、神の満足のために脂肪を燃や しました。彼は疑いもなく、両親の教えにしたがってこれを行ないました。アベ ルが行なったことは、後になって与えられたモーセの律法の要求と正確に一致し ました。これは、神を礼拝する彼の道が、神の神聖な啓示にしたがってであって、 自分の観念にしたがってではなかったことを証明します。 民数記第18章17節によれば、キリストの予表である牛や羊の初子を、イスラエル 人は食べることができませんでした。それは神にささげられなければなりません でした。ですから、予表によれば、アベルはキリストを神にささげたのです。わ たしたちは、わたしたちを清めるキリストの血を必要とし、わたしたちを覆うキ リストご自身を必要とします。それは、わたしたちが神に受け入れられ、神を満 足させるためです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(二)」(1998年版)メッセー ジ第23編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。