カインとアベルは神を礼拝する道を示している(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記4:3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持っ て来た。(5節)だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、 カインはひどく怒り、顔を伏せた。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) カインはせん越であり、自分の観念にしたがって神に仕えました。創世記第3章 には、地の産物を神にささげることについての言葉はありません。神は、血が流 されて神の義の要求に応じるいけにえを顧みられ、また堕落した裸の人を覆うこ とができるいけにえの小羊の皮を顧みられます。アダムとエバは、自分たちが裸 であることを見いだした時、いちじくの葉で作ったスカートで身を覆いましたが、 神はそのようなおおいを全く尊重されませんでした。神は、罪のためのささげ物 のために何頭かの小羊をほふり、その皮から、男と女を覆う上着を作られました。 アダムとエバはカインとアベルにこのことを告げたに違いなく、アベルは彼らの 言葉を受け入れ、それに基づいて行動しました。しかしながらカインは、自分は もっと賢いと考え、神の関心事を無視し、神の道を取ることを拒否しました。彼 は神の福音に従わないで、自分の道、自分の観念による宗教を発明しました。 ローマ人への手紙第10章3節で、パウロは不信のユダヤ人のことを語って、「なぜ なら、彼らは神の義について無知であり、彼ら自身の義を立てることを求めて、 神の義に服さなかったのです」と言います。カインは彼らの先駆者であって、自 分の義を立てようとして、キリストを自分の義として取る神の道に従わないとい う実例を設けました。わたしたちは、キリストの外側で善を行なって神を喜ばせ ようとする時はいつも、神の目にカインの足跡に従っているのです。神の啓示に よれば、わたしたち自身の道で神を礼拝することは神に対する冒とくであること を、わたしたちは認識しなければなりません。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(二)」(1998年版)メッセー ジ第23編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。