アダムとエバはキリストと教会の予表である(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記2:21 そこで神である主が、深い眠りをその人に下されたので彼は眠った。 それで、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。(22節)こう して神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を 人のところに連れて来られた。(新改訳) 1コリント15:45 そこで、「最初の人、アダムは、生きた魂と成った」と書か れていますが、最後のアダムは、命を与える霊と成ったのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) 創世記第2章のアダムは写真でした(ローマ5:14)。肉体におけるキリストの誕生 をもって、真のアダムがやって来ました。聖書によれば、園の中のアダムは最初 のアダムと呼ばれ、真のアダムとしての主イエスは最後のアダムと呼ばれます (1コリント15:45)。最後の方として、彼は真の方です。 ある日、真のアダムは十字架上で眠りにつかれました。彼はそこで、午前9時か ら午後3時まで、六時間眠られました。これは創世記第2章で、「神はアダムを深 く眠らせ」と言い、また「そのあばら骨の一つを取って」彼に一人の女を建造し たと言う句で予表されます。そのアダムの眠りは、教会を生み出すためのキリス トの十字架上での死の予表でした。これは、命を解放し、命を分け与え、命を増 殖させ、命を増加させ、命を再生するキリストの死です。教会をこのように生み 出すことによって、キリストにある神は、命として人の中へ造り込まれました。 まず、神は人と成られました。次に、神聖な命と性質のあるこの人は、死と復活 によって多くの信者たちの中に増殖し、彼らは多くの肢体となって、彼にふさわ しい、また彼を補足する真のエバを構成しました。この過程によって、キリスト にある神は、彼の命と性質を伴って人の中に造り込まれ、人は命と性質において 神と同じになって、神の補足として神にふさわしくなることができます。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(一)」(1998年版)メッセー ジ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。