神を受け入れる霊を持つ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創世記2:7 その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのち の息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。(新改訳) ヨハネ4:24 神は霊であるから、彼を礼拝する者は、霊と真実の中で礼拝しなけ ればならない。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 神は人の鼻に命の息を吹き入れました。それは、人が神を受け入れる器としての 霊を持ち、また神と霊的なものに接触する器官としての霊を持つためでした。ト ランジスタラジオの内側には受信器があります。この受信器が駄目になると、電 波は通じることができません。同じように、わたしたちの体は外側の容器であり、 内側には神によって造られた霊が、天の電波である神を受信する受信器としてあ ります。この器官によって、わたしたちは霊的なものに接触することができます。 わたしは手で黒板に触れます。わたしは鼻でにおいに触れ、目で色に触れます。 わたしは耳で音を実証します。これらすべての物質的なものは、わたしたちの肉 体の中の感覚によって実証することができます。 宇宙には霊的なものもあります。この宇宙には神がおられ、神は霊です。わたし たちは、自分の肉体の感覚で神を実証することはできません。物質の方法で神を 実証できないからといって、神の存在を否定するのは愚かです。何かを感じるこ とができないからといって、それが存在しないと言うことは無謀です。大気圏内 には多くの電波がありますが、受信器がなければ、それを実証することはできま せん。同様に、適切な受信器であるわたしたち人の霊がなければ、神を実証する ことはできません。もしわたしたちの霊が十分に機能しなければ、わたしたちは 神を感じることはできないでしょう。わたしたちは、わたしたちの霊を調整する 必要があります。わたしたちの霊を活用して神に接触する必要があります。わた したちの内側に、聖書が人の霊と呼んでいる器官があります。(箴言20:27) (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「旧約ライフスタディ・創世記(一)」(1998年版)メッセー ジ第10編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。