恵みによって救われ、愛の中で仕える(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ21:16 ……「はい、主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなた がご存じです。」イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。 2コリント5:14-15 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに押し迫っているか らです。……生きている者が、もはや自分自身にではなく、彼らのために死んで 復活させられた方に生きるためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしたちは、良いことをして神の恵みに恩返ししなければならないと何度も聞 いてきました。この言葉は、あまりにも矛盾しています。もし恩返しがあるなら、 恵みはありません。もし恵みがあるなら、恩返しの必要もありません。神に感謝 します。新約全体に、恩返しを言っている所は一つもありません。わたしたちク リスチャンは良い行ないをするべきであるというのは事実です。しかし、なぜ良 い行ないを持つべきなのでしょうか? なぜ主のために苦しまなければならない のでしょうか? なぜ主のために辱めを負わなければならないのでしょうか?  なぜわたしたちは主に仕えるのでしょうか? 主がわたしたちを愛の中で取り扱われたように、わたしたちも愛の中で主に接し ます。しかし、ここに取り引きの思想はありません。神がわたしに、そんなにも 多く与えてくださったので、恩返しに多くのものを与えるというのではありませ ん。彼がわたしを愛されたので、わたしは彼を愛さずにおれないのです。彼はわ たしを愛されたので、わたしのために十字架についてくださいました。わたしは 彼を愛するので、進んで彼のために十字架を負うのです。彼がわたしに与えてく ださったものは、無代価でした。ですから、わたしが彼に与えるのも無代価です。 今日、もしわたしたちが主のために働き、仕え、辱めを受け、十字架を負うなら、 それは彼の恵みに恩返しをしたいからではなく、彼を愛するからです。彼がわた したちを愛してくださったその愛が、わたしたちの心を得、わたしたちの心をつ かんだので、神に仕えざるを得なくなるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第28巻「神の福音(一)」(1991年版)第3編から引用され ています。いずれも日本福音書房から出版されています。