恵みによって救われ、愛の中で仕える(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ2:8 なぜならあなたがたが救われたのは、恵みにより、信仰を通してで あって、これは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物であるからで す。(9節)それは行ないによるのではありません。だれも誇ることがないためで す。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) かつて一人の伝道者がわたしの所に来て言いました、「わたしは、人は一度救わ れても、永遠に救われるとは思いません」。わたしは彼になぜそう思うのか問い ました。彼は次のように言いました、「人は恵みによって救われますが、救われ た後、正しく振る舞わなければ、滅びると思います」。わたしは言いました、 「それでは、これは恵みでしょうか?」。 人が良い行ないによって救われるのは、現金払いのようです。あなたは良い行な いをして、神の御前に行きます。すると神は言われるでしょう、「よろしい、あ なたは救われることができます」。人がこのようにして救われるなら、それは恵 みによるのではありません。主に感謝します。だれもこのようにしては救われな いのです。それでは、後払いの場合はどうでしょうか? これは、神は人に救い を与えられたが、救われた後、人が良い行ないをしないなら、神は救いを取り上 げられるので、救いを保つために良い行ないをしなければならないというような ものです。これも恵みではありません。恵みは現金払いではありません。また後 払いのようでもありません。現金払いは、今支払うものですが、後払いは、将来 支払うものです。どちらにしても、払わなければなりません。ところが、わたし たちは救いを信用貸しで買うのではありません。わたしはその伝道者に、もし救 いが恵みからであるなら、良い行ないは全く必要がないと言いました。すると彼 は、「わたしたちはもはや良い行ないを必要としないという意味でしょうか?」 と問いましたので、わたしは次のように言いました、「いいえ、クリスチャンは 良い行ないが必要です。しかし、わたしの言う良い行ないは、救いとは無関係で す。わたしの言う良い行ないは、王国と関係があり、褒賞と関係があり、冠と関 係があるものです。救いは買うものではありません。また信用貸しで買うもので もありません。救いは無代価で与えられるものです」。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第28巻「神の福音(一)」(1999年版)メッセージ第3編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。