恵みは罪に妨げられない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ5:15 しかし、恵みの賜物は、違反の場合とは比較になりません。一人の 違反によって多くの人が死んだのであるなら、神の恵みと一人の人イエス・キリ ストの恵みの無代価の賜物は、なおさら多くの人に満ちあふれるはずです。(20 節)……ところが、罪が満ちあふれたところには、恵みもますます満ちあふれま した。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神の恵みは、罪深い人に、すなわち絶望的で、低くて、弱い、不敬虔な罪人に与 えられます。もし悪い行ないの問題が出てきて、罪ある者には恵みがないとされ るなら、恵みは根本的に無効にされることになります。人が罪を犯したというだ けで、恵みが差し止められることはありません。人の罪が増し加わっても、恵み は減らされることさえありません。そのような事は絶対にあり得ません。 功績のある人は恵みにあずかることができても、わたしたち罪人は何の功績もな い者なので恵みにあずかる資格はないと考えるかもしれません。もしあなたが、 神についてある思想を持っている人に、神はあなたを愛して恵みを与えられたと 言うなら、彼は直ちに、自分には多くの罪があるのにどうしてそういうことがあ ろうかと言うでしょう。悪い行ないがない時にはじめて恵みを受けることができ ると、人は考えます。人は、この考えが絶対的に間違っていることを認識できま せん。なぜこの考えが間違っているのでしょうか? なぜなら、悪い行ないは、 恵みが働く最上の機会となるからです。悪い行ないがなければ、恵みの現れる機 会はありません。悪い行ないは、恵みを阻止することができないだけではありま せん。反対に、それは恵みが現れるための必要条件なのです。 高波が来ると、堤防には、そこまで水位が上がったという跡が付きます。しかし、 洪水になると、ある水位を越えます。これが、ここの「満ちあふれる」という意 味です。罪はとても高いです。ところが恵みはさらに高く、罪を覆うのです。こ れが神の恵みです。わたしたちの悪い行ないは極めて深刻であり、とても高くな り得ますが、神の恵みはさらに高くなります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第28巻「神の福音(一)」(1997年版)第3編から引用され ています。いずれも日本福音書房から出版されています。