だれでもあわれみを求めることができる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ11:32 なぜなら、神がすべての者を不従順の中に閉じ込めたのは、彼が すべての者にあわれみを示されるためであったからです。 1テモテ1:13 わたしは以前、神を冒とくする者、迫害する者、侮辱する者でし た。しかし、それはわたしが不信仰の時、無知のゆえに行なったことなので、あ われみを受けたのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 昨年わたしは、とても年長の、重い病気に苦しんでいる人に会いました。彼はわ たしを見ると、涙を流しました。彼はわたしに、自分は神を恨んでいないが、本 当に病気に苦しんでいると言いました。わたしは彼に、神があなたを愛してくだ さり、恵んでくださるように求めるべきであると言いました。彼は、自分にはそ れができないと言いました。わたしがなぜかと尋ねると、彼は次のように答えま した、「わたしは六十年間も、自分のために生きてきて、神のためには生きてき ませんでした。自分は今、死のうとしているのに、神が自分を愛してくださり、 恵んでくださることを求めるのは、恥ずかしいです。わたしが神から遠く離れて おらず、過去数十年の間、神に近づいていたのでしたら、愛と恵みを求めるのは たやすかったでしょう。ところが、わたしのような人は、一生の間、神から離れ ていたのですから、死の床に横たわっている時に、どうして神に自分を愛してく ださるよう求められるでしょうか?」。わたしは説得したのですが、彼はわたし の言葉を信じようとしませんでした。わたしは彼に言いました、「神はあなたに 恵みを与えることができ、あなたに対して恵み深くあることができ、あなたを愛 することができます」。しかし、彼は信じることができませんでした。わたしは 何度も彼に会いにいったのですが、どうしても駄目でした。 そこでわたしは祈りました、「神よ、彼はあなたを信じようとしませんし、あな たの愛も信じようとしません。わたしには彼を助ける方法がありません。彼の臨 終の時にあって、彼に道を開いてあげてください」。後ほど、わたしはこう感じ ました。すなわち彼に、恵みについても愛についても語るべきではなく、あわれ みについて語るべきであったのです。わたしは喜んで、再び彼のところへ行きま した。わたしは彼に言いました、「あなたは今、すべてのことを忘れるべきです。 あなたは神のところに行って、こう言いなさい、『神よ! わたしは苦しんでい ます。わたしには方法がありません。わたしをあわれんでください』」。彼はす ぐに同意しました。すると直ちに彼の信仰がやってきて、彼は祈りました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第28巻「神の福音(一)」(1991年版)第2編から引用され ています。いずれも日本福音書房から出版されています。