神のあわれみ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ2:4 しかし、あわれみに富んでおられる神は、わたしたちを愛してくだ さった彼の大きな愛のゆえに、(5節)わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わ たしたちをキリストと共に生かし(あなたがたが救われたのは、恵みによるので す)。 テトス3:5 わたしたちが行なった義のわざによってではなく……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) ある人たちは次のように尋ねるかもしれません、「神の愛はとても尊いのに、な ぜあわれみがなければならないのですか?」。それは、人に欠けるものがあるか らです。わたしたちには、神の御前に行って神の愛を求める勇気がありません。 わたしたちは肉の者であって、神のことを十分に知らないのです。神は光の中で ご自身をわたしたちに啓示されたとはいえ、わたしたちはまだあえて彼に近づこ うとはしません。わたしたちは、自分が神の御前に行って愛を求めることは不可 能であると感じます。同時にわたしたちには、神の御前に行って恵みを求め、自 分はこの祝福、あの祝福が必要であると彼に告げる十分な信仰がありません。わ たしたちには、神の愛を求めることができず、神の恵みを求める十分な信仰もあ りません。 しかし、主に感謝します。わたしたちには愛と恵みがあるだけでなく、あわれみ もあるのです。愛はこのあわれみの中で現されます。神はあわれみ深い方ですか ら、もしあなたが福音を聞いてもなお信じることができないなら、次のように叫 ぶことができます、「ダビデの子よ、わたしをあわれんでください!」。 あなたは、他の事柄を求めることは恐れても、この一つの事を求めることは恐れ る必要がありません。わたしはあえて、主が自分に恵み深くあってくださること を求めません。わたしはあえて、主がわたしを愛してくださることを求めません。 しかしわたしは、彼がわたしをあわれんでくださることを求めることができます。 別の事柄をわたしはあえて求めません。しかし、わたしは大胆にあわれみを求め ることができます。神はこのことを喜ばれます。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第28巻「神の福音(一)」(1997年版)メッセージ第2編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。