義における神の救い ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ3:26 それは現在の時に彼の義を明らかに示すためです。こうして神が義 であり、また彼はイエスの信仰の者を義とされるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― もし神があなたを愛されなかったのでしたら、それはとても簡単であったことで しょう。すなわち、あなたが罪を犯す時、神はあなたを死なせ、滅びに至らせる でしょう。しかし、神は決してこの事を許されません。なぜなら、神はあなたを 愛しておられるからです。人の罪と神の愛が共にあることが、問題なのです。神 の義がそこに加わると、救いは地上で最も困難な事となります。今日、監獄では 多くの人が死刑に処せられています。もしわたしが彼らを愛していなければ、そ のことはわたしにあまり関係がありません。わたしが彼らを愛して、救いたいと 願う時、はじめてそれは困難になります。彼らに罪があり、わたしが彼らを愛し ても、わたしが不義であるなら、その問題を取り扱うことはやはり容易です。賄 賂を用いて無責任にその問題を取り扱うことができます。ところが、もしわたし が義人であるなら、そのような詐欺的で不適切な方法で行なうことはできません。 わたしはそれらを非合法的なままにしておくことはできません。もしわたしが彼 を救うのでしたら、義によって救わなければなりません。 神はわたしたちを救い、ご自身の愛の心を満足させ、それと同時に神の義を守る 方法を考え出さなければなりません。そのようなわざは、真に傑作であるでしょ う。ハレルヤ! 神がご自身の御子イエスにあって用意された救いは、そのよう な傑作です。彼は、わたしたちを罪から救い出し、そして彼の愛を現し、同時に それを義にあって行なうことができます。これが主イエスの贖いのみわざです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第28巻「神の福音(一)」(1997年版)第5編から引用され ています。いずれも日本福音書房から出版されています。