務めは実行上の教会生活という結果になる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ15:26 なぜなら、マケドニヤとアカヤは、エルサレムにいる聖徒たちの 間の貧しい人たちのために、喜んでいくらかの援助をしたからです。(27節)彼ら はそれをすることを喜びました。また彼らは、その人々に負い目のある者たちで す。なぜなら、異邦人はその人々の霊のものにあずかったのですから、物質のも ので彼らに仕えるべきであるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 異邦人にキリストを供給することと、彼らを神への供え物としてささげることか ら、愛の交わり、異邦人とユダヤ人の聖徒たちの間の愛にある交流が発展しまし た(15:25-28, 30, 32)。異邦人の聖徒たちは、実際的、物質的なものをささげる ことによって、ユダヤ人の聖徒たちと交流しました。以前は、異邦人はユダヤ人 の目に豚でしたが、今や聖徒たち、神へのかぐわしいささげ物となりました。こ うして、異邦人信者たちは、ユダヤ人の兄弟たちの物質の窮乏を顧みる心を持ち、 ユダヤにいる聖徒たちの窮乏を顧みる彼らの願いの表現として、自分たちの持ち 物をささげました。 使徒パウロは異邦人の所に来た時、キリストを持って来て、彼らの中にキリスト を供給しました。この結果は何であったでしょうか? その結果は、異邦人信者 たちが彼ら自身の物質の所有をささげて、彼らの以前の敵、キリストにあるユダ ヤ人の兄弟たちを顧みたことです。異邦人が回心し、再生され、聖別され、造り 変えられた後、彼らの古い心は取り除かれ、新しい心、ユダヤ人の兄弟たちに対 する心遣いが植え付けられました。彼らは財物をささげることによって、実行的 にこの心遣いを表明しました。パウロはキリストを持って行き、財物を持って戻 って来ることによって、実行上の教会生活を実証しました。これが愛にある真の 交わり、心遣いの実行上の表現です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙(一)」(1997年 版)メッセージ第30編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。