人を裁かないように注意する

――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――
ローマ14:10 それなのに、あなたはなぜ自分の兄弟を裁くのですか? あなた
はなぜ、自分の兄弟を軽んじるのですか? わたしたちはみな、神の裁きの座の
前に立つのです。
(12節)ですから、わたしたちはそれぞれ、神に自分自身の言い開きをすることに
なるのです。

―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
(全2編のうちの第1編)
神の裁きの座での裁きは、キリストの再来の直後、千年期(千年王国)の前に持た
れ(1コリント4:5、ルカ19:15)、信者たちの生活と働きが、その時に裁かれます
(啓22:12、マタイ16:27、1コリント3:13-15)。この裁きは信者の救いとは何の
関係もありません。なぜなら、神の裁きの座に現れる人はみな、すでに救われて
いるからです。この裁きは、信者たちが救われた後の生活と働きを裁きます。

この裁きは、千年期の王国における信者たちの褒賞を決定します(マタイ25:21、
ルカ19:17, 19)。信者たちはこの裁きの座の前に立ち、自分たちの生活と働きを
神に報告します。ここにパウロの思想があります。すなわち、わたしたちは人と
論争したり、彼らを批判したりするのではなく、自分自身に注意すべきです。な
ぜなら、ある日わたしたちは神の裁きの座の前に立ち、救われた後の自分の生活
と働きを報告することになるからです。

人を裁かないで、自分自身を裁きなさい。主にある他の信者たちを受け入れよう
とする時はいつも、裁きの座の光の中でわたしたちの識別力を働かせ、次のよう
に言わなければなりません、「おお、主よ、わたしをあわれんでください。わた
しは、わたしの兄弟を裁くに値しません。主よ、わたしを覆ってください。わた
しはあなたによって裁かれたいです。わたしは自分自身に、自分の生活と生き方
に裁きを下します」。これがわたしたちの態度であるべきです。
(明日に続く)

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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙(一)」(1997年
版)メッセージ第28編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ
れています。