人は手袋のようなものである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント4:7 しかし、わたしたちはこの宝を土の器の中に持っています。そ れは、その卓越した力が神のものであって、わたしたちからではないことが現れ るためです。 コロサイ1:27 ……異邦人の間にあるこの奥義の栄光…それはあなたがたの内に いますキリストであり、栄光の望みです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは神の器、容器としての人の例証に、手袋を用いてもよいでしょう。 手袋の目的は手を入れることですから、手袋は手のかたちに作られます。手袋は 手ではありませんが、手を入れるために手の形に作られます。同じ原則で、人は 神を入れる器です。ですから、人は神の姿にしたがって造られました。 例えば、わたしたちの優しさは、神の優しさの容器です。わたしたちの優しさは 形にすぎませんが、神の優しさはその実質、実際です。わたしたちは神の姿に造 られましたから、神らしくなる、すなわち、神のようになる能力を持っています。 動物は決して神らしくなることはできません。なぜなら、それらは神の姿をして おらず、神を入れることができないからです。しかし、わたしたちの愛、親切、 優しさにおいて、わたしたちは神らしくあること、神のようであることを示すこ とができます。 神は人の創造において、神を入れる器として、この器の中に入り、それをご自身 で満たすという意図をもって、人を造られました。神はご自身が造った器の中に 入る時、その器がご自身にふさわしいと感じられます。神には感情があり、神の 器にも感情があります。ですから、その容器の中に、神はご自身の感情を入れ、 分与する場所を持っておられます。このようにして、人の感情と神聖な感情は一 つになります。神聖な感情は内容であり、人の感情はその容器、表現です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙(二)」(1997年 版)メッセージ第63編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。