その霊の導き(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ8:14 なぜなら、神の霊に導かれている者はみな、神の子たちであるから です。 ローマ8:6 肉に付けた思いは死ですが、霊に付けた思いは命と平安です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 多くのクリスチャンは、その霊の導きについて間違った天然の観念を持っていま す。人々は常に、その霊の導きは第三の天か、そのような所から突然来るものだ と思っています。ある人は主にしるしを求めて言います、「おお、主よ、わたし がこれを買うべきかどうか、しるしを、指針を与えてください。主よ、店を開け たままにしてください。もし店が閉まっていたら、それはあなたがわたしに何も 買わせたくないことを示しているのでしょう」。 その霊の導きは、外側のものから引き出したり、それに依り頼んだりすることで はありません。その霊の導きは内なる命の結果です。わたしは、それは命の感覚 から、わたしたちの内側の神聖な命の意識から来ると言います。ですから、その 霊の導きは、命の事柄、すなわち、命の感覚と意識の事柄です。霊に付けられた 思いは命です。どのようにしてわたしたちはこの命を知ることができるでしょう か? 外側のものによってではなく、内側の命の感覚と意識によってです。思い を霊に付けることから来る内側の感覚があります。わたしたちの思いがわたした ちの霊に付けられると、わたしたちは直ちに内側で強められ、満足します。わた したちはまた水を注がれ、新鮮にされます。その感覚と意識によって、内側の命 を知ることができ、この命の感覚によって、自分が正しく歩いているのを知るこ とができます。言い換えれば、わたしたちはその霊の導きの下にあることを知り ます。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙(一)」(1997年 版)メッセージ第18編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。