三重の神聖な分与 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ8:10 しかし、キリストがあなたがたの中におられるなら、体は罪のゆえ に死んでいても、霊は義のゆえに命です。(6節)肉に付けた思いは死ですが、霊 に付けた思いは命と平安です。(11節)そして、イエスを死人の中から復活させた 方の霊が、あなたがたの中に住んでいるなら、キリスト・イエスを死人の中から 復活させた方は、あなたがたの中に住んでいる彼の霊を通して、あなたがたの死 ぬべき体にも、命を与えてくださいます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 命を与える霊として、手順を経た三一の神は、わたしたちの中に住んで、三重の 方法でわたしたちに命を与えられます。この命を与えることの第一の面は、10節 に見いだされます。この節は、キリストがわたしたちの中におられるなら、わた したちの霊は命であると言っています(ここの霊は体と対照をなしているので、 人の霊でなければなりません)。ここのキリストは、内住する霊となられた三一 の神です。このキリストがわたしたちの中におられるので、わたしたちの霊は命 です。というのは、命を与える霊として、キリストはわたしたちの霊に内住して おり、そして彼の内住はわたしたちの霊を命にするからです。これは第8章で啓 示された命を与えることの第一の面です。 第二の面は6節に見いだされます。思いはわたしたちの魂の主導的な部分です。で すから、それはわたしたちの魂を代表します。これは、思いが命になる時、わた したちの魂が命になることを意味します。まず、わたしたちの霊が命であり、次 にわたしたちの魂も命になります。   最後に、11節によれば、命はわたしたちの死ぬべき体に分け与えられます。です から、命は三重の方法でわたしたちに分け与えられます。すなわち、わたしたち の霊が命になり、思いが命になり、わたしたちの死ぬべき体に命が分け与えられ ます。こういうわけで、ローマ人への手紙第8章によれば、三一の神は三部分か らなる人に分与され、人の霊、魂、体に命を与えると言うことができます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙(二)」(1997年 版)メッセージ第67編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。