人の中における善と悪との戦い ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ7:19 わたしは自分の欲する善を行なわず、かえって自分が欲していない 悪を行なっています。(20節)もしわたしが欲していないことを行なうなら、それ を行なうのはもはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪です。そこでわ たしは、善をしようと欲しているわたしに、悪が共にあるという法則を見いだし ます。(22節)わたしは、内なる人によれば神の律法を喜びますが、(23節)自分の 肢体の中には別の法則があって、わたしの思いの法則に逆らって戦っており、わ たしの肢体の中にある罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見ます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) 人は神によって創造され、神は決して何の悪も創造されませんでした。神が創造 されたものはすべて、神の被造物としての人を含めて、善でした。人がどれほど 堕落しても、神の創造の善が彼の中に残っています。 人は善に創造されましたが、知識の木の実を取った時、サタンの邪悪な性質が彼 の体の中に注入されました。知識の木は、死の力を持つサタン、邪悪な者を意味 しました。こうして、人が知識の木の実を食べた時、サタンが彼の体の中に入り ました。サタンの原則、あらゆる邪悪な事柄の要因は、罪の法則です。わたした ちは思いの中に、神によって創造された原則、善の法則を持っています。わたし たちは思いの中に善の法則、肉の中に悪の法則を持っており、この二つの法則は 相入れません。善の法則は、神によって創造された善の原則を代表し、悪の法則 は、わたしたちの肉の中のサタンの原則です。わたしたちの肉の中のサタンは神 を憎み、人を欺き、全力を尽くして人性を駄目にし、腐敗させます。こうして、 人の思いが善の法則によって善を行なおうと思う時はいつも、悪の法則が直ちに 立ち上がって戦い、哀れで苦悩している人を打ち破り、とりこにします。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙(一)」(1997年 版)メッセージ第13編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。