いつも喜ぶ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ4:4 主の中でいつも喜びなさい。わたしは繰り返して言います。喜びな さい。 1テサロニケ5:16 いつも喜びなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 第一にわたしたちが知らなければならないことは、喜んでいることが神の命令で あるということです。聖書はわたしたちに、幸せになるようにではなく、主にあ って喜ぶようにと命じています。わたしたちはただ主にあって喜ぶだけでなく、 いつも主にあって喜んでいるべきです。おそらく、あなたはこのように考えるで しょう、「わたしにはあれこれの問題があります。どうして喜んでいることがで きるでしょうか? わたしは労働者であり、家族を養わなければなりません。わ たしは苦労し、汗を流していますが、あまり稼いでおらず、生活費はとても高い のに、どうして喜んでいることができるでしょうか?」。その結果、あなたは思 い煩います。あるいは、あなたは学生、医者、主人、使用人であって、この世の 人を取り扱うのは難しいと感じ、喜ぶことができません。実に多くのことが、あ なたを喜ばせないようにすることができます。しかし、注意してください。4節 の喜びは、あなたにある喜びではなく、「いつも主にあって喜びなさい」である のです。神はわたしたちに、自分の環境の中で、思いどおりにいく事の中で、何 かの幸いの中で喜ぶことを、求めておられるのではありません。 この世はわたしたちに反対し、誤解し、拒絶し、わなにかけますが、だれも天に おおいをかけることはできません。主は決して変わりません。わたしたちは一つ の事についてはっきりしているべきです。環境の中で喜ぶのではなく、わたした ちの主にあって喜びなさい。友人や親戚がなく、心が痛んで涙を流す時、わたし たちを愛してくださり、またわたしたちの愛している主を仰ぎ望むなら、わたし たちは慰められ、喜ぶことができます。彼はわたしたちの心を満たすのに十分で す。ところが、クリスチャンはとても忘れやすいのです! 今日これを聞いても、 明日は忘れてしまいます! こういうわけで、パウロは続けて言っています、 「もう一度言います。喜びなさい」。神の意図は、わたしたちが喜ぶことです。 ですから、何が起こっても、わたしたちは喜んでいなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第18巻「メッセージ記録(二)」(1996年版)メッセージ第 30号から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。