平和の中を歩く ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ5:1 こういうわけで、わたしたちは信仰によって義とされているので、 わたしたちの主イエス・キリストを通し、神に対して平和を持っています。 (2節)またその方を通して、わたしたちも、いま立っているこの恵みの中へ信仰 によって入ることができ、そして神の栄光の望みのゆえに勝ち誇っています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは信仰によって義とされ、恵みの領域に立っていますから、わたした ちの主イエス・キリストを通し、神に対して平和を持っています。パウロは、神 と共に平和を持っていると言うのではなく、神に対して平和を持っていると言い ます。これは、わたしたちが依然として神へと向かう途上にあることを意味しま す。わたしたちは旅を終えていません。霊の世界では、まず門を入り、次に道を 歩きます。信仰による義認は、門を開くことであり、享受という広大な領域の中 へとわたしたちを近づかせ、入らせることです。義認の門を通過したなら、わた したちは平和の道を歩く必要があります。罪人には平和はありません。ローマ人 への手紙第3章17節は、わたしたちが罪人であった時、平和の道を知らなかった と言います。しかしながら、今日、わたしたちは平和の道を歩いています。 もしあなたがある方向へ向かいながら、内側に平和を感じないなら、立ち止まる べきです。常に平和と共に進みなさい。青年たちよ、あなたがたは救われた後、 平和の中で道を行かなければなりません。どこへ行くにも、平和の道を取らなけ ればなりません。もし平和がないなら、行ってはなりません。何をするにも、平 和の中で行なわなければなりません。もし平和がなければ、行動してはなりませ ん。恵みはわたしたちが立つためであり、平和はわたしたちが歩くためです。も しあなたがある場所にとどまることで恵みがなければ、そこにとどまってはなり ません。もしあなたがある方向に歩むことで平和がなければ、歩いてはなりませ ん。恵みの中に立ち、平和の中を歩きなさい。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ローマ人への手紙(一)」(1997年 版)メッセージ第9編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。