神に対して気が狂っている(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント5:13 というのは、もしわたしたちが気が狂っていたなら、それは神 に対してであり、冷静な思いであるなら、それはあなたがたのためです。 使徒16:24 ……獄吏は、彼らを奥の獄に投げ込み、その足に足かせをはめた。 (25節)真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りながら、神に賛美の詩歌を歌っていた……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ステパノは石を投げられて死に、パウロとシラスは獄に入れられましたが、使徒 行伝で見るように、彼らはかえって喜んだのです。彼らは解放された後、少しも 恥ずかしいと思わず、むしろ大いに喜びました。本当に彼らは主のために気が狂 った人たちでした。彼らにとって、主のためには何事も大きすぎるとか、難しす ぎるとか、苦しすぎるということはありませんでした。 スミルナの監督であったポリカープが捕らえられた時、彼はすでに86歳でした。 それで刑を執行する者たちは、あえて殺すことをせず、特別にただ一言、「わた しはナザレ人イエスを知りません」と言いさえすれば、釈放すると言いました。 しかし、彼は次のように答えました、「わたしは彼を否むことはできません。彼 はわたしを決して否んだことがありません。それなのにどうして自分の体を惜し んで、彼を否むことができるでしょうか?」。彼らは彼を火あぶりの刑にしまし た。彼の下半身が焼かれていく時でさえ、彼はなおも神に言いました、「神よ、 感謝します。今日、わたしはここで焼かれる機会を与えられました。神よ、感謝 します。わたしは命をもって彼を証しすることができます」。彼は苦難を受ける ことにおいても、本当に気が狂った人でした。 (この著者であるウオッチマン・ニーも、イエス・キリストにある彼の信仰のた めに獄で死にました。彼は1952年、不当な判決を下され、罪に定められ、1972年 に亡くなりました。彼は信仰を否まなかったゆえに、大きな苦難を受けましたが、 投獄されていた二十年間、喜びを保ち続けました。そして、彼の務めは今日に至 るまで広がり、成長し、実を結び続けています。) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第41巻「特別集会、メッセージ、談話の記録(一)」 (1998年版)メッセージ第26編から引用されています。いずれも日本福音書房から 出版されています。