神に対して気が狂っている ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マルコ3:21 ……人々が、「彼(イエス)は気が狂っている」と言ったからである。 使徒26:24 パウロがこのような事を弁明していた時、フェストは大声で言った、 「パウロよ、おまえは気が狂っている。博学がお前の気を狂わせているのだ」。 2コリント5:13 というのは、もしわたしたちが気が狂っていたなら、それは神 に対してであり、冷静な思いであるなら、それはあなたがたのためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主もパウロも、この世にいた時、人々によって気が狂っていると言われました。 すべて主に忠信に従っていく人たちは、気が狂った人と見なされます。わたしは あなたにお尋ねしますが、あなたは人の前では冷静であっても、神の御前で狂う ということがあるでしょうか? もし神の前で狂ったことがなければ、あなたは 中途半端なクリスチャンです。パウロのように、クリスチャンは、人の前では冷 静であり、神の御前では狂った人であるべきです。 クリスチャンが狂うというのは、精神が異常で狂うのではなく、正常な方法で狂 うことです。このように狂うということは、人を言動において愚かにさせること ではなく、神に対して狂うことです。このような人は、言動においてはっきりし ています。人に対しては極めて冷静ですが、神に対しては狂った人のようです。 学問があり、才能があり、多くの事のできるパウロが、死んだナザレ人に従って、 イエスは死人の中から復活したと宣べ伝えているので、人々はパウロのことを残 念に思っていました。しかし、神から見ると、パウロは神に対して狂った人でし たので、神の最も喜ばれる人でした。このような人は本当に主のために働くこと ができます。今日も主は、主のために働くこのような気が狂っている一群れの人 を得ることを願っておられます。教会の中で神に対して気が狂った人が多ければ 多いほど、教会の前途はますます輝かしいものとなるでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第41巻「特別集会、メッセージ、談話の記録(一)」 (1998年版)メッセージ第26編から引用されています。いずれも日本福音書房から 出版されています。