その霊の力を受ける ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ24:49 見よ、わたしはわたしの父が約束されたものを、あなたがたの上に 送る。ただ、あなたがたは、高い所から力を着せられるまで、都にとどまってい なさい。 使徒1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは力を受ける。 そして……地の果てまでも、わたしの証し人となるであろう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 復活の後の四十日目に、主は弟子たちに対して、彼らが聖霊の力を受けることを 再び約束されました。主の約束はペンテコステの日に成就しました。旧約では、 聖霊の注ぎは、祭司、預言者、裁き司たちのような少数の人たちの特権でした。 この特権を持っていた人は、全イスラエルの民の中で一人だけしかいなかったか もしれません。旧約の歴史において、何十年あるいは何百年に一回だけこのよう な人が現れたのを見ます。そのような出来事はまれでした。しかし、新約におい ては、だれでもこの経験を持つことができますし、また持たなければなりません。 この約束はとても独特です。それは、わたしたちすべてが受けることのできるも のです。それは主からの特別な祝福です。わたしたちすべてが自分の上に聖霊を 持つことができるとは、何という喜びでしょう。昇天の前、主は弟子たちに、エ ルサレムにとどまって約束を待つようにと命じました(ルカ24:49)。その時、弟 子たちはすでに内住の命を持っていました。彼らは主の言葉を聞き、祈りながら 待っていました。十日後、ペンテコステの時、彼らはみな聖霊で満たされました (使徒2:4)。使徒行伝第2章を読む人はだれでも、これは人の上での聖霊の外側の 働きを語っていることを知っています。それは聖霊の内側の働きを述べているの ではありません。ヨハネによる福音書、ルカによる福音書、使徒行伝から、聖霊 の働きには二つの路線があることを見ます。一つの路線は人の内側にあり、もう 一つの路線は人の外側にあります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第41巻「特別集会、メッセージ、談話の記録(一)」 (1998年版)メッセージ第22編から引用されています。いずれも日本福音書房から 出版されています。