ある思想は実はサタンの投げやりである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ6:16 なおその上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、あなたがた は邪悪な者の燃える火の投げやりを、いっさい消すことができます。(17節)また 救いのかぶとを受け取りなさい……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 17節の前半でパウロは続けて言います、「また救いのかぶとを受け取りなさい」。 これは悪しき者によってわたしたちに向けられた否定的な思想に対抗して、わた したちの思い、わたしたちの知性を覆うためです。そのようなかぶと、そのよう な覆いは、神の救いです。サタンはわたしたちの思いの中に、脅かし、思い煩い、 心配、その他の弱くするもろもろの思想を注入します。神の救いは、これらすべ てに対抗してわたしたちが取り上げる覆いです。そのような救いは、わたしたち が日常生活の中で経験する救うキリストです(ヨハネ16:33)。 悪魔の燃える火の投げやりは、わたしたちの思いの中に注入される思想としてや って来ます。これらの思想はわたしたち自身のものであるように見えるかもしれ ません。しかし、実はサタンの思想です。(幾つかの例:わたしはクリスチャン としてやっていけない。神はわたしを苦しめたがっている。神はわたしの必要を 顧みてくれない。わたしは堕落するように運命づけられている、など)。わたし はかつて、そのような思想はわたし自身の考えであると信じたものです。その後、 わたしはそれらがサタンから来たことを認識し始めました。わたしは、そのよう な思想を持たないようにしようと決心してからも、そのような思想が続けてやっ て来た後、この事を発見しました。それまでは、わたしのする事は、これらの思 想をすべて主に告白することでした。今わたしは、それらを告白することを拒絶 します。反対に、あなたは次のように言うべきです、「主よ、わたしは堕落して います。しかし、わたしはあなたの清めの下にあります。サタンよ、この思想は おまえのものです。そしておまえこそ、その責任を負わなければなりません。わ たしはそのような責任にはあずかりません」。それにもかかわらず、良心が過敏 であるため、ある人たちは、サタンによって引き起こされている事柄をたえず告 白します。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(三)」(2001年 版)メッセージ第65編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。