とがめのない良心 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ6:14 ですから立ちなさい。真理を腰に帯として締め、義の胸当てを身に 着け。 使徒24:16 このことで、わたしも神と人々に対して、とがめのない良心を常に 持とうと、自分自身を訓練しております。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 義の胸当ては、胸が象徴しているわたしたちの良心を覆います。サタンはわたし たちを告発する者です。彼に対抗する戦いでは、わたしたちはとがめのない良心 を必要とします。しかし、たとえ自分の良心がどんなに良いと感じたとしても、 わたしたちはそれを義の胸当てで覆う必要があります。義は、神と人との両方に 対して義であることです。もしわたしたちが神か人かに対してほんの少しでも間 違いを持っているなら、サタンはわたしたちを告発します。するとわたしたちの 良心には穴があき、そこからわたしたちの信仰と大胆さがすべて漏れて出てしま います。ですから、わたしたちは敵の告発からわたしたちを守るために義の覆い を必要とします。そのような義はキリストです(1コリント1:30)。 もし何かの事でわたしたちが義でないとしたら、わたしたちの良心はとがめのあ る良心となるでしょう。しかし、もしわたしたちが霊的戦争に携わるのであれば、 わたしたちはとがめのない良心、穴があいていない良心を持たなければなりませ ん。わたしたちの良心に穴があいているなら、わたしたちの信仰はその穴から漏 れ出てしまうでしょう。もし告発と反対とがわたしたちの良心の上に残っている としたら、信仰は消え失せます。こういうわけで、良い良心、とがめのない良心 を持つために、わたしたちは良心を対処する必要があります。それに加えて、わ たしたちは自分の良心を覆う義の胸当てを着ける必要があります。 わたしたちが霊的戦争をしようとする時はいつも、告発者サタンはわたしたちの 良心を攻撃します。彼は、他の時にはこれほどひどくわたしたちを悩ませはしま せん。サタンは、わたしたちの良心にいつとがめがあるかを知っています。これ らのとがめに関して彼がわたしたちを告発する時、わたしたちは直ちに弱くされ ます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(三)」(2001年 版)メッセージ第64編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。