わたしたちの内のキリストを無視してはいけない



――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――

ローマ8:10 ……キリストがあなたがたの中におられるなら……(34節)……キリ

スト・イエスは死んで、さらに復活させられ、神の右で……。

コロサイ1:27 ……神は彼らに、異邦人の間にあるこの奥義の栄光の豊富がどん

なものであるかを、知らせたいと願われました。それはあなたがたの内にいます

キリストであり、栄光の望みです。



―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――

ある宗教の教師たちは、新約聖書の中の啓示を体系化しようとします。そのよう

な体系的教えの影響の下で、ある人は、キリストは第三の天におられるのだから、

どこにでもいることはできない、特にわたしたちの内にいることはできないと考

えます。それにしても聖書は、キリストが第三の天にもわたしたちの内にも同じ

ようにおられるのであると言っています。さらに、キリストはすでにわたしたち

の内におられ、しかも彼は来られつつあるのです。これは、彼は今ここにもおら

れるし、また彼は来られつつあるのでもあることを意味します。わたしたちはこ

れを調和させることはできません。わたしは単純に両面を信じるだけです。なぜ

なら、新約聖書は両方を啓示しているからです。



多くの信者たちが持っている問題は、主の到来の客観的面に関して宗教的に教え

込まれてしまい、主観的面を無視するに至っていることです。彼らは、天におら

れるキリストに全ての注意を払い、彼が戻ってこられることも確信しています。

しかし、彼らは内に住んでおられるキリストの事実を無視し、おそらくキリスト

が今、彼らの内側におられることの認識さえないでしょう。わたしたちが天から

のキリストの再来を待っている時、わたしたちは内側で彼を享受しなければなり

ません。主イエスは言われました、「見よ、わたしは戸口に立って、たたいてい

る。だれでもわたしの声を聞いて戸を開くなら、わたしは彼の所に入って行き、

彼と共に食事をし、彼はわたしと共に食事をするであろう」(啓3:20)。ここの主

の言葉は、彼がすでにここにおられることを示します。何とわたしたちは、生け

る、主観的な、内住のキリストの経験を必要とすることでしょう!



わたしの負担は、そのようなキリストを主の民に供給することです。もしわたし

たちが、生けるキリストの直接的で、尊い、親密な享受を持たないとしたら、聖

書をいかに正しく解釈するかを知っていても何の益があるでしょうか?



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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、

ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・エペソ人への手紙(三)」(2001年

版)メッセージ第60編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ

れています。